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今何ができるか

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ジャパンハートでは、被災地での活動を終えた医師、看護師による報告会をしています。
この度、功徳林寺別院(東京文京区 小石川)にて、イクメンクラブの皆様にご参加いただきました。

我々の報告を通し、企業の皆さまにも、今何ができるのかを考えてもらう好機になればと、参加者に、被災地の映像を見てもらい被害の大きさを知ってもらう以外に、今回の支援の成功事例をあげならが“組織”や“環境”の役割についてディスカッションしました。

・今までは「責任をせめる」ことの繰り返しの世の中だったが、自分達が何かしなければいけないと気づいた
・金より善意が世の中を動かす
・被災の時は非効率なものが機能するのかも
・今、自分は組織にがんじがらめになっている
・組織としてタイトな目標を作ってもそれに縛られるだけ
・ニーズを予測し、実行するが大切
・自分のやったことの着地点を常に知るべし
・模索しながらも進んでいくことが大切 等々

明日につながる有意義なご意見がありました。
インタラクティブな報告会は、報告する我々も学びが多いものです。

復興支援は、ボランティアやいちNPO法人だけの力ではどうしようもないことも多々あります。

企業の皆さま、どうか力を貸して下さい。



復興支援は、いよいよ長期戦です。


saku・la
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仙台より

初めてブログを書きます、仙台事務所で事務を務めている高橋です。
名前が茉莉子なので皆さんからはジャスミン・ジャスと呼ばれていますが、
東北で「ジャス」というとジャージのことだそうですね。今も穿いています。


それはさておき、基本的に仙台事務所に常駐している私ですが
先日、活動地からとても心が温かくなるご報告をいただきました。

ジャパンハートに同行したカメラマンさんが避難所の方々のお写真を撮られて、
それをアルバムにしてくださったものを被写体のご家族にお届けしたところ


「今までのアルバムはすべて流されてしまった。

これからは撮った写真をこのアルバムに収めていきたい」


と大変喜んでくださったそうです。

私はそのアルバムを仙台から現地へお送りしただけですが、
被災地の方のそんな笑顔に少しでも関われたことをとても嬉しく思いました。

東北の笑顔が増えますように、明日も仙台で頑張ります。



じゃすみん


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縁の下の力持ち

みえ@東京です。


震災後、約一ヶ月間被災地で活動していました。
その後、任務交代となり、東京へ戻ってきています。

被災地にいた頃、東京事務局ではスタッフはもちろん、ボランティアさん、支援者さんなど
多くの人たちがサポート
してくださっている、とひしひしと感じてはいたものの。

改めて、東京事務局でその姿、様子、動きを見て本当にありがたく思います。

“ここの支えがあっての今の被災地活動”

震災が起きる前から、いろいろな方に支えられていた東京事務局ですが、
今回のことをきっかけにさらに仲間が増えています。

事務局へお手伝いにきてくださるボランティアさん
広報などのアドバイスをしてくださる方
支援金を寄付してくださる方

そして被災地へいく医療者、ドライバー、学生さん、、、


多くの方々の想いを被災地へ―

今度はここでできることを私がやる番。


みえ


あ

あ


子ども支援

ジャパンハートの吉岡春菜と申します。
昨日、今日と気仙沼の幼稚園と石巻市渡波で「なんでも相談」と称して心理相談をしました。
幼稚園は全壊した園の子どもたちが合併してすごしているため300名のマンモス園です。
毎日子どもたちと接する先生方に震災と子どものストレス、その対処法について話をする時間を設けました。
園のバスが揺れると「地震だ~」といって遊ぶ子ども、それを見て耳をふさぐ子ども・・・。
様々な被害レベルをもつ子どもたちが混在しており、先生方もどうやって子どもたちに対応したらよいのか不安な様子です。これから年単位で先生方の後方支援をする必要性、子どもたちのストレス状況をしっかり把握して、変化を継続してみていく必要性を感じました。

石巻市渡波地区はまだまだ生活が大変な状況が続いています。
朝から配給に並び、自宅に帰ってお昼ごはんを食べたら自宅の片付けに明け暮れる毎日。
車が流されたので役所に行くにも一苦労。必要な情報はなかなか入らない。
手間ですが鍼灸師の弟とともに自宅訪問を繰り返し、マッサージをしながらお話をお伺いしました。
子どものことで心配なこと、学校が始まってもまた津波がきて子どもと離れてしまうのが怖いといった不安をたくさんの親がお持ちです。次回もまた個別訪問をする必要性を感じました。

息の長い丁寧な関わりを効果的に行うにはどうしたらよいのか、考えながら行動していきたいと思います。


理科室から天秤!?

理科室から天秤登場
先日、ジャパンハートの活動地の一つである石巻市雄勝町の大須小学校に視察に行ってきました。
ここでは、学校の保健室を借りた診療活動を行っています。

この日、ジャパンハートで初めて薬剤師さんを派遣しました。
しかし、この薬剤師さんもさすがに困ったことがありました。

患者さんは診察時、今まで飲んでいた薬の袋を持ってきてくれます。しかし、袋には薬名は書いてあっても量が記載されていないものがたくさんありました。もちろん「薬の説明」の用紙もありません。。。
例えば血圧の薬や、血糖に関する薬の場合、分量がとても大切です。それを間違えると、急激に血圧や血糖が変化し重篤なことになります。

さあ~困った!!

そこで登場したのが天秤。小学校の理科室から持ってきたのでした。
原始的だけど、この天秤が大活躍でした!!

環境が整っていない中であるものを利用する。まさかミャンマーで学んだことがここでいきるとは思ってもいませんでした。日々是勉強。ナース彩未

被災地でお茶を一服

4月20日、いつもジャパンハートを支援してくださる遠州流茶道の皆さんが、復興の一助になればと本吉町清涼院と仙翁寺で、呈茶をしてくれました。

仙翁寺では、蒲団が積み上げられた本堂の片隅を水屋にし、慣れた手つきで準備が始まり、おいしいお茶がたちました。清涼院では、満開の桜を愛でながら花見の茶会となりました。

「昔、お茶の稽古をしていたのなつかしい」とおばあちゃん。「これちょーうまい」と何度もおかわりする小学生。「私もやりたいー!」と茶筅をふる少女。「この菓子おいしいね」と菓子を頬張るおじいちゃん。「温まりました」と自衛隊。
みんなが、心のこもったもてなしを受け、ニコニコ。


四月半ばというのに、前日には雪が降りちぢこまった体が少し伸びたようです。

いろいろな方の気持ちを頂きながら、被災地のみんなは元気になっていきます。

遠州流の皆さんありがとう!!

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診察室にて

地震後より目が見えにくくて、と支援センターに来た男性。
調子が悪くなった経過を聞くと少しずつお話してくれました。

地震が起きてから津波が襲い避難するまでのこと。
でも、記憶がすっぽり抜けてどう逃げたのかは全く覚えていない事。
隣に住んでいたおじいちゃん、おばあちゃんを助けられなかった事。
お子さんが毎晩夜うなされている事。
避難所では最初はおせんべい1枚しか配られなかった事。
すごく寒かったけれど、おばあちゃんが風邪をひかないようにと
上着をかけてあげた事。

お話を聞きながら泣かないようにするのが精一杯でした。
せめても出来ること、と肩を揉ませてもらったらものすごく凝っていました。


災害から一ヶ月、きっと必死で頑張って来られたのでしょう。

同じ体験をしている避難所の方、ご家族には話せないこと。
私達だから話せるのかな、と思いました。
聞くことしか出来ないけれど、それでも話すことで少し気分が晴れるのであれば
良いかなと思います。

帰るときのその方の表情は少しだけですが、すっきりいていたような気がしました。

すま
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お願い

診療所の外で中年の女性二人組みに声をかけられました。
「被害のひどい地域はどこでしょうか?」
聞くと、テレビで見た光景を実際に自分の目で見たいと宮城まで来たとの事・・・。

これはこの方達だけではなく、大勢の方が来ているようです。
このような行為が交通渋滞を引き起こし、救急搬送や支援活動に影響を与えているということも
今のこの地域の問題のひとつ。

これからゴールデンウイークに向けて、このような人が増えるのではないか
そんな考えが頭をよぎります。

興味本位で被災地を見に行くようなことはどうかやめて下さい。
お願いします。


すま

海岸にて

支援センターから歩いて30分程。

海岸まで朝、みんなで様子を見に行って来ました。

支援センターから少し海外側に歩いただけで、ものすごい光景が私たちの目の前に飛び込んで来ました。
家の中にある3:45で止まった時計。
壁に書かれた「家族全員無事です」と書かれた文字。
まだ全く瓦礫が撤去されていない道路。

そんな中地震にも、津波にも負けずに咲き始めている桜の木がありました。
植物のチカラ
すごいです!

すま

y

渡波にて

朝から車を走らせてジャパンハートが活動する渡波地区へ。
仙台事務所から渡波へは東北大の学生ボランティアさんがドライバーをしてくれました。

震災当日も、もちろん仙台市内にいた彼。
一ヶ月でだいぶ道がきれいになたっと話してくれました。
が、それも石巻市の途中まで。

途中から一気に風景が、そして臭いが変わりました。
道路沿いには多量のゴミ。
そして、田んぼの真ん中にある車や船。
ぐにゃりと曲がった歩道橋
潮のくさったような臭い。

津波の爪あとがまだまだ生々しく残っていました。


そんな中、ジャパンハートが活動する「渡波医療支援センター」に到着しました。
嬉しい驚きだったのは、みんなすごく一生懸命活動してくれていたこと。
通常の病院業務のように、何でもそろっているわけではありません。
そこにあるものを工夫して、今いるメンバーで地域の方にどんな医療を提供するか。

そして、開設から約3週間。
口コミで患者さんは徐々に増えつつあります。
中には、普段受診していた医療機関が津波で流されて受診できなくなってしまい
一ヶ月以上薬を飲んでいなかった!という方も。

私が来てまだ1日。
ここで私たちが出来ることはまだまだありそうです。

すま
y

いざ!

ご存知の通り、3月17日からジャパンハートは被災地にスタッフを送り出して来ました。
私はこの間ずっとそんなみんなを東京事務局で送り出し、出迎えて来ました。

エネルギーいっぱいで出発するメンバー達。
そしてみんな、達成感と多少の疲労感を抱えて事務所に帰って来ました。

東京事務局でのコーディネートが必要、そして現場だけでなく後方支援も必要な被災地支援
頭で理解しつつも納得いかないココロ。

お祭り騒ぎを遠巻きにしている気分、
誰かが言ったそんな言葉がぴったりくる感じ。

そんな私が、ついに被災地に入ることとなりました。
桜前線を追いかけて、今日は仙台オフィスで一泊です。

現場での様子は明日から報告させて頂きますね。

すま

j

一カ月の節目

3.11.

そのとき、東京にいた私は
まさか宮城県がこんなに縁のある場所になるとは夢にも思わず。

みえ@仙台です。

あれから一カ月がたち、被災地状況も日々変化しています。
緊急支援から復興支援へと切り替えの時期となってきています。

ジャパンハートとして今後も、被災地支援を長期的に続けていきます。

今後の方針は2本柱。
①看護師を全面に、地域の基幹病院の復興、訪問看護などの人的サポートを行う。
②こどものこころのケアを医療チーム(医師・看護師)としてサポートを行う。


そして、ここからは私の近況と心境をちょっとつづらせてもらいます。

緊急支援のため、3月17日より現地に入っていた私ですが、
役割終了となり、本日完全に撤収しました。

はっきり言って、気持ちはぐちゃぐちゃ。
言語化困難。

仙台から東京にむかう道中、桜前線に逆行しながら、ぼーっとこの一カ月を振り返っていました。

一カ月前は、真っ暗で町がわからなかった仙台市内。
無人の高速SA。

一方、今の東京は何事もなかったかのように
日常の光景がそこにあり。

電車は走り、エレベーターは動き、飲食店は“営業中”
人が笑い、酔っぱらいがいる。
同じ時間の流れとは到底思えず、受け止めきれない。

なんだか違和感。
それは、ミャンマーから帰国した感覚に似ているような・・・


被災地で出会った仲間、ともにたたかった仲間はそこに残り、一日一日を必死に生き抜いている。
一方、私は日常の空間にぽつんと落とされた。

正直、気持ちはまだごちゃっとします。

でも風化させない。
そこで出会った一期一会を繋いでいく。

いまの私の精一杯の答えです。

みえ

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k

j

被災1ヶ月後をみて

昨日避難所を巡回させて頂いた。
震災後ずっと東京事務局で現地へ出発する方の説明や現地のサポートをさせて頂いている。
現地の情報は報告書や現地スタッフとの電話、帰ってくる人からの話し、写真、ニュースなどで情報を収集し、
人へ伝えて来た。
しかしずっと足りないと思っていた。
そして昨日ようやく現地の視察という形で現在の活動地:宮城県の渡波地区、本吉地区、志津川地区に行かせて頂いた。

現地で見たもの、感じたもの。それはやはり想像以上の事ばかりだった。
多くは悲しい意味で想像以上だった。被災後1か月目という区切りの時だった。
きっと多くのものは被災当時より支援がはいり改善していたのだと思う。しかし被災者に方にとってはまだまだ身体的にも精神的にも救われない時間が続いている。

しかし今回はいい意味での想像以上のことが何個かあった。

高速で石巻に入る時、少しずつ津波の跡が分かった。
それは渡波に入る町並みの中で、唐突明らかにあらわれた。
そんな衝撃の中見たのがユニフオームのない、外国人の人も含めた個々のボランティアの人たちがあつまり、壊れた家の瓦礫をよけきれいにしていた。
通りすがりにみた光景だったが、生身の大勢の人が一生懸命している姿は印象的だった。

また今回実際訪れたジャパンハートの各地の診療所。
一瞬見ただけですぐに今までのボランティアさん達の頑張りが分かった。それはある意味期待以上で想像を裏切ってくれた。心から頭が下がる思いとなった。
恵まれた環境でない中、一生懸命作り上げたのだと感じた。簡単にできるものではないし、自分が同じものは作れない場所になっていた。

今回改めて各所を回らせて頂く機会となり、被災者の方達の声、ボランティアに参加して頂いている方達の声を聞き、その場所でわずかながら過ごせた。この事は必ず活かしていきたい。今自分の立場で自分の出来る事をして行きたい。
まりー被災地写真 道ばたのボランティアさん

避難所だけではない。

石巻渡波の診療所について、紹介します。

渡波地区は石巻市中心部から山を隔てて数キロ離れたエリアです。
街ごと消え去るような被害ではありませんが、全壊・半壊・床上浸水が混在し、また街の規模も大きく、
依然としてガレキや廃車が目立ち、撤去も進んでいない状況です。

我々はそこに仮設診療所を開設し、4月2日から診療を開始しました。
他のサイトとは異なり、避難所ではなく、在宅被災者向けの医療支援です。
開始してわかったこと。
・石巻市内の日赤以外の各医院・診療所は津波で流され、再開できているのは少ない。
・家は残っても自家用車が流され、通院できない。
・車が大丈夫でもガソリンが入手困難。
・電気はとおっても、水・食糧は配給であり、その運搬など高齢者には大きな負担。
避難所以外の在宅被災者に対しては、避難所の各医療チームも手がまわらず、医療から孤立してしまっている状況です。それで我々は医療チームと連携し、在宅被災者向けの診療という役割を担うことでスタートしました。

高血圧など慢性疾患、花粉症、感冒などが中心ですが、それに加えて、
・私の専門が小児科、渡波地区ではもともと小児科が手薄、避難所でも小児科医は皆無、などの理由から小児OKの診療所として宣伝したところ、患者の3-4割程度が小児という形が継続しています。

今後も小児科医に常駐してもらい、地域の医療が復興するまでの橋渡し役として、継続していく方針になりました。
急性期を過ぎた今、復興に向けてどのようなデザインを描くか。今後数年に渡っての大きな問題です。

こだまん
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暗闇の星

「主人はまだ行方不明なの」

気仙沼では在宅診療と看護を行っている。あるお宅でそんな声を耳にした。

その夜、暗い空を照らしている星をのぞきながら、そんな言葉を思い出した。正確には思い出したのではなく、ずっと心に残っていた。

今でも忘れられない。

暗くなった空を見上げるとこれほどにもきれいかと疑わせる、星が散らばっている。私の居場所を照らすだけでなく、たくさんの行方不明者を照らしてほしい。

この星が輝き続くようにと願う。

セアマ ぞう さいとぅ

もっと強く

『現場を見て今後の広報を考えてくれ』吉岡代表が言った。
震災後、事務所の看護師は、不眠不休で慣れない事務作業をこなしている。
両手に有り余る程の専門性を現場で発揮したいはずだ。
この子達より先に現場に入って良いのか、躊躇しつつ車を走らせた。

私の記憶が正しければ、この辺りは雄大な中にもどこかのどかなさがある風光明媚な地域。儚くも記憶の景色は、一つもない。
どんなにパズルを巧みに組み合わせても、こんな情景は作れない。

日航機墜落事故、地下鉄サリン事件と、『現場』に立ち会ったり、遭遇したりしたが、ここには、サイレンの音も、絶叫も、嗚咽もなかった。
あるのは、静寂とボランティアのこんにちはと言う明るい挨拶。それが一層悲しみを増す。

小さい頃から他人の悲しみに自分が泣いてはいけないと幾度も唇を噛み締めてきたが、無性に悲しくなった。
私と同じようにどれだけの人がこの大地に涙を落としているのだろう。どうかその涙がこの大地を浄化させ、復興のエネルギーとなって欲しい。

広報の仕事。
それはもっと強く伝えること。そして、被災地の外にいる我々がもっと強くなること。
そして、それは今。なぜなら、今と言う時は、過去と未来を繋ぐから。
今やらないと。

今、もっと強く伝え、強い人間にならないと…。

まるで他人事のように、夕陽が水面を照らしていた。
saku.la

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4月7日

今日は雄勝町の大須地区の避難所となっている大須小学校へ行ってきました。

小学校に着くまでの道のりに、地震・津波の足跡が、地震から一ヶ月経とうとしている今も残っていました。

大須へ行くまでの道路を津波が飲み込んで壊れ、そこを土で埋め立てて道ができて、物資の搬送がされていました。そのため、川と離れているほうの土地も、まだ津波の水が残って泥地のようでした。

道路の両脇は瓦礫ばかりで建物はほとんど残っておらず、津波の力はどれほど大きいのだろうと、言葉を失いました。
家が建物の上に傾げて乗っかっていたり、電柱は折り紙のように折れ曲がっていました。学校の最上階の窓もめちゃめちゃに壊れていました。
周囲は山に囲まれていて、逃げ場はありません。
この学校にいた子どもたちは屋上へ逃げたらしいということは聞きましたが、その後助かったのだろうかと思うと、何ともいえない気持ちになりました。
今は人一人居ず、重機の音だけが響いていました。

この地が地元でない私でも目を背けたくなる、信じたくない光景でしたが、
生まれ育って愛着のある地がこのようになってしまった住民の方は、
どれほど悲しいか、信じたくないか、何もかもがなくなって、どうしようもない思いでいっぱいか…、
と思うと、どんな言葉をかけたらいいか、何も浮かびませんでした。

避難所へ着くと、スタッフの方々が、「○○さん調子どう?」と声を掛けたり、避難所のみんながあいさつをし合い、気持ちのよい空気が流れていました。

避難所では綿あめとあんまんの配給がされており、甘いお菓子に子どもからお年寄りまでみんな笑顔になっていました。
また、午後には美容師さんのボランティアや、被災地を巡回して廻っているというマッサージのボランティアの方も来ていて、「気持ちよかった、疲れが取れた~」とくつろいだ表情を見せていました。

子どもたちは近くの中学校で授業が始まり、夕方からサッカーやバドミントン、一輪車と、元気に遊びまわっていて、
生活のリズムは前の状況に少し近づいたのではないかと感じました。
遊んでいるときは元気そうに見えるだけなのかもしれませんが、
元の生活リズムに近づくことで、少しでも早く心の傷も癒されればいいな、と思います。

午後には避難者の方々の血圧チェックをしながらお話を聞かせてもらい、
「眠れているけど、ぐっすりとはいかないね」と話す方や、
「何も持って来れなかったけど、命はあってよかった」と話す方がいました。
話している表情は柔らかいものの、このような状況で、
まだまだ心は落ち着いていないだろうと思います。

長い避難所生活で疲れも溜まってきた中で、日常の中に小さな楽しみがあることで、
少しでも頑張る力になれば、と思いました。

こうら

テーマ : 災害ボランティア
ジャンル : 福祉・ボランティア

医療連携!

「気仙沼災害対策本部」をご紹介します。

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こちらには、東京都医師会が本部リーダーとなり、全国各地よりDMATや各病院からの災害医療支援チームが集結しています。毎日、朝・夕にmeetingをし、それぞれ情報共有・情報交換を行いながら各チームごとに避難所に診療所を開設するなど活動拠点を設け医療を行っており、私達もこのmeetingに毎日2回参加しています。

医療チームと言ってもいろいろな形がありました。

DMAT:災害派遣医療チーム(災害急性期に活動出来る機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム)
全国各地の病院から医師・看護師・事務員などで構成された派遣された医療チーム
薬剤師チーム、精神科チーム、感染対策チーム、歯科チーム、眼科チーム
そして、ジャパンハート!

それぞれが各々活動するわけですが、夕方には災害対策本部に集結し、診療の報告や問題提起、専門医への協力の呼びかけなど、情報共有やディスカッションが繰り広げられています。ジャパンハートも定点診療所で活動しているので、このmeetingで、活動報告を行います。

避難所で感染症が疑われた場合は、感染対策チームに適切な対応の指示を仰ぎます。

糖尿病の患者さんの血糖コントロールは限られた支援物資の中では本当に難しいのですが、糖尿病内科の医師に治療方針を相談しマニュアル作成がされました。

家族と共に自らが被災者でありながらも地域に生活する患者さんのために奮闘していた保健師さんは、震災後から一人で多くを抱え、背負い、休む間もなく無我夢中で活動していました。そこで『巡回診療支援チーム』が結成され、訪問診療・訪問看護をサポートする体制ができました。ジャパンハートも毎日同行し、診療・ケアを実施しています。

小児のメンタルケア介入の必要が出た時には、どういった介入が必要なのか話し合い、小児科医・精神科医・児童相談所など様々な方向からアプローチしました。

寝たきりの方に向けたケアマット(床ずれ防止マット)が支援物資として入るという情報が入った際には、各医療チームがそれぞれの診療所や避難所を巡回し、対象者やその必要性を調査し、meetingで報告・情報共有を行い、必要な場所へ、必要な物資が届くように対応していきました。

地域に密着した継続的支援に向け、様々な医療チームが連携を図り、様々な方法で介入しています。そう、継続的支援が必要なのです!どういった形で、どういう方法で継続的に介入していくのか。。。みんなで考えていかなければならない、大きな課題です。


いんどぅー

4月6日

私は昨日東京を出発し、初めて被災地に入りました。
今日は避難所には行かず、仙台事務所のお手伝いをしていました。
仙台事務所が11日に移転するため、荷物整理をしていましたが、救援物資の数々を見て、見ず知らずの方がこんなに協力してくださっていると、心強く感じました。
寄付の方々の思いが届くよう、各避難所へ送る子どもの本やおもちゃを、「これで遊んで少しでも心が癒されれば…」と思いながら詰めました。

事務所では学生ボランティアが活躍していて、夜遅くまで、先を読んでてきぱき行動していたことが印象的でした。
また、今ここの事務所に決まった経緯などを聞いていると、人の縁ってあるんだなぁ~と感じました。
トイレや流し台も管理人室のものをお借りしたり、誰かの力なしにこの活動はできていません。今ある縁を大切に、感謝していきたいと思いました。

ラジオニュースでは、地下鉄の再開が、当初5月末の予定だったのが、1ヶ月早まったと言っていました。明日からはガスも開通するようです。
いろんな人の「復興へ向けて頑張ろう」という気持ちが伝わってくる気がしました。
まだ実際に避難所に行っていないので、生の声が聞けていないのが残念ですが、少しずつ少しずつですが、元の生活に近づくことで、被災者の方々の心が少しでも癒されることを願います。

こうら

テーマ : 災害ボランティア
ジャンル : 福祉・ボランティア

伝える義務

私は現在、都内の病院で働いているので震災後より現地の患者さんの広域搬送受け入れ対応をしていました。搬送に付き添う疲弊した医療スタッフの表情から、現地での状況がイメージされました。高速道路が使えない中、東北から都内までの長い道のりを陸路で移動するため、中には搬送中に容体が悪化する患者さんもいました。
とにかく、都内にいても情報が入ってきません。TVを見ていても、何が本当なのか分からないし、何より被災地の人々の心からの声は届いてきません。そんな毎日を過ごす中で、現地に行って自分の目で見て肌で感じなければ、何か大切な事を見逃してしまうような気がしていました。

震災から約3週間。私は宮城県の気仙沼に近い本吉地区に行ってきました。清涼院というお寺にジャパンハート診療所を設け、ここを活動拠点とし、約30人程の避難者と共に共同生活をしながら診療を行っています。その他、近くの避難所への巡回診療も行っています。

まだ、ライフラインは復旧していません。

現在ジャパンハートでは、各活動拠点のある被災地に毎日医療者やボランティアスタッフを派遣しています。
避難所に新しいスタッフが入るたびに、「どこから来たの?」「遠くからありがとう、本当に助かります」などあたたかい言葉をいただきます。
「恐かったけど、前を向いて生きていく、進んでいくしかないからね」・・・力強い言葉もいただきます。よくTVでも見かけますね。
しかし、余震の度に、「地震??!」「揺れてる・・・」「大丈夫かね、大丈夫だよね」と表情が曇ります。実際にお話をさせていただいていくうちに、その言葉の一つ一つから、明るい表情や言葉の裏で実は必死に前を向こうとしているのだと痛感させられました。

被災地で被災者として生活している人々の心が取り残されないよう、現地を訪れた者の責任として、きちんと伝えていかなければならないと思います。


いんどぅー

移行期

本吉地区に行ってきました。
沿岸部から離れた山間まで津波の跡がありました。
3月11日に沿岸部にいた人は「ぐっと波が引いたんだ。壁みたいなのがやってきた。あんなのが来るとはなあ。まだあそこのしょうちゃん見つからねべ。」震災から20日たった今でもまだ行方不明者が大勢。毎日、対策本部に集まっては行方不明者の安否確認が行われています。「もうあきらめでっけどよ。」と話す人もいます。希望と落胆とがまじりあい眠れぬ日々が続いています。子供たちは直ぐに泣き出し、ひとりが泣くと周りの子どもも一緒に泣いてしまいまうのです。住民は血圧が普段より20~30mmhg高くなっており、血圧の薬が普段より追加で処方されてます。時間がたつにつれ、避難所生活の疲労と表面には見えない、そして本人たちにも気づかない傷跡が表れてきているような気がしました。
町全体が壊滅し、仮設住宅が建つ目途は半年以降だったり、他の市町村に移動する話も出ていますが、今後の計画も見通しもはっきりとはわからないのが現況です。町がなくなる事への不安や災害地へ戻る事の恐怖など複雑な気持ちで何とも言えない空気が流れることがあります。目の前のことを考えて必死だった時期から先のことへ考える移行期に来ています。目の前の現実と向き合うつらい時期です。そんななか、その地区の災害対策の本部長は言います。「1000年に一度の津波だ。今までも人間は生きてきたんだ。だから大丈夫。」と。力強くみんなを守っている、支えになっている印象がありました。
この災害が忘れられることがないように。ここの住民がまだまだがんばっていることが忘れられないように。住民の思いを伝え、関わっていきたいと思います。

自衛隊

はし

戸倉での夜のこと

私たちは、避難所に常駐し診療を行っていたので、避難所の人達とともに生活をしていた。

夜、避難所の入り口の小さなところでおじさんたちが集まり懐中電灯1つで話をしていた。
次第に私たちスタッフも集まり、みんなで話に加わった。

何気ない話のあと、おじさんがしんみり話し始めた。

「ほんと、ありがてーよな。こんな所まで助けに来てくれて。
 今は何もできねーけど、3年後…いや、5年後には必ず恩返しするからよ。待っててくれよ。
 おいしいもんいっぱい用意しとくからな。
 被災者の底力見とけっつーんだ。」

こんな話をしてくれた。

この人達と一緒に私も復興に向けてがんばっていきたい。

スケジュール


すえ

帰って来て思うこと

3/17に山形に入り、3/29無事家に帰って来た。

帰ってきて、普通の日常生活を送る中、この今の生活が夢のように思う。
帰ってきた今のほうが、津波の被害の大きさを感じる。

自分が今生きていること、友達がいること、家族がいること、職場があること。
このことが当たり前じゃないことを知った。

私は宮城県志津川の戸倉と、石巻の雄勝というところに行った。
そこで色んな人と出会い励まされた。2か所とも大好きな場所になった。

現地ではやはり、情報がほとんどなく、医療活動に追われ、目の前のことに精いっぱいで、自分自身色々なことを考える余裕がなかった。
しばらく情報の乏しい地にいて、帰ってきて新聞や、ニュース、ネットなどから流れる情報、悲惨な写真。実際みてきたはずの現実が自分自身受け入れられなかった。

避難所では、みんな忙しく働いていた。ほんとに疲れていたけど明るく接してくれた。
笑わしてくれた。「今は忙しくて色んな事を考えてる暇がない」って話していた。
今日戸倉の人と話した。「少し前よりは落ち着いてきたよ。家に戻って色んなものを探しに行く人も出てきたし。」
余裕が出てきたとき、悲しみや不安は一気に押し寄せると思う。これからが本当に大変な時。自分には何が出来るのかを考えさせられる。

医療活動


すえ
プロフィール

ジャパンハート

Author:ジャパンハート
ジャパンハートの東日本大震災の救援医療活動の報告。
日々、リアルタイムで報告します。

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