スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

生きていかなければならない。

こんにちは。
再び、みえ@仙台オフィスです。

今回は、先日お会いした被災者の方のお話です。
その方は、ジャパンハートが活動している南三陸町の戸倉地区に避難している看護師のAさんです。


Aさんは避難所で自身も被災者でありながら、「看護師」として活躍されています。

避難所では、たまたま看護師だから、保健師だから、ということで
避難所でも「看護師」「保健師」として活動せざるを得ないパターンが多いようです。
一方で。
「動いている方が気が楽だから」という声もきかれます。


私が再び戸倉の避難所を訪れた日は、震災後2週間のこと。
疲労はとてつもなく溜まっているはずなのに。
Aさんはあたたかく笑顔で出迎えてくれました。


看護師として地元の病院で働いていたSさん。

自衛隊力作のカレーをありがたく頂戴した後、
みんなで団欒していたところ、
Aさんはあの日のことを、淡々と語り始めました。

病院でいつものように、なんら変わらない日勤業務をおくっていた3月11日。

「ほんとにおそろしい光景だった

 大きな地震が起きた後、津波を警戒したけど、
 まさかあそこまで来るとは…

 病院のマニュアルでは、2階へ避難するとなっていたの。
 でも2階どころか、4階、屋上まで水が襲ってきたんだから。

 第1波・・・いや第2波なんて、「水の壁」が押し寄せてきたようなもので」

 
話を聞きながら、嫌になるほど脳裏に焼き付いたテレビ報道の光景がリンクしました。

 「人が流されていくのが見えた」

…どう答えたらいいのか。
 大人たちさえ、受け止めきれないその現実。
 まして子どもたちの心は本当に悲鳴をあげていることでしょう。


Aさんはいいました。
「インフラは2カ月すればもどるといっていました。第一関門。
2ヶ月がんばればいいんだって思ったら頑張れるじゃない、みんなでがんばろ」

眼がしらを抑えながらも
笑顔を見せてくれたAさん。


“それでも
  生きていかなければならない”

そんな思いが突き刺さってきました。



この写真は石巻市内の立ち並ぶ商店街に乗り込んできた漁船です。
車と家と船と家のがれきがめちゃくちゃに重なり合った道路。

道路の先の行方を示すため、写真のように漁船に“道しるべ”が書かれています。
生きていく。
補い合って、支えあって生きていく。
村社会のミャンマーの人々を思いだしました。

医師の巻き

みえ
スポンサーサイト

仙台オフィスより;活動地紹介

仙台オフィス

こんにちは。
ジャパンハートスタッフ看護師のみえです。

今回の震災でジャパンハートも緊急支援をすることになり。
私も17日より現地入りをしています。

突然決まった現地入りでしたが、
メディアを通じ、刻一刻と変化する被災地状況を目の当たりにし、
「go」に迷いはありませんでした。


私の役割りは、仙台オフィスを構築し、活動サイトと東京本部との中継地点として
機能させること。

活動サイトの状況は刻々と変化します。

例えば。
つい先日、圧倒的に足りなかった物資や食糧も、時期をずらして多量に流れ込んでくる。
そしていま、必要としているのはまた異なるモノであったり。

インフラも日に日に変わります。
衛生電話から衛生携帯、そして某携帯会社の電波塔がきたり。
一方、
断続的に続く余震により、土砂崩れが起き、昨日まで通れていた道が寸断されたり。

刻々と変わる事態に、柔軟・迅速に対応していかなくてはなりません。
スピードが勝負。
仙台オフィスの機能が求められる、そんなポジションです。


さて、みなさんに伝えていきたいことはたくさんありますが、
今回は改めてジャパンハートの現地活動の全体像をお伝えします。


このブログでも紹介していますが、現在、ジャパンハートが活動しているところは4か所。
宮城県:
南三陸町戸倉地区
雄勝町大須地区
桃生町 
本吉町

三陸沖の津波により壊滅的な被害を受けたところ、またそれらの地域から避難してきた方々の避難所です。

各活動地を簡単にご紹介します。

戸倉地区、大須地区はジャパンハートから医師と看護師がチームになって避難所に常駐しています。
その医師、看護師はジャパンハートスタッフだけでなく、今回ボランティアで参加している外部の医療者も多くいます。

彼らの多くは、今回の震災で「現地でできることをやりたい!」と思いつつ、
でも個々で動くことは移動手段も現地介入も難しいのが現状です。

ジャパンハートでは、そのスキームを確立し、
貢献したいという彼らの思いを現地へ届けられるようにしています。
これまで述べ70人以上参加しています。

この地区で、医療チームは仮診療所として避難者を診察したり、
また近くの避難所へ巡回診療にも行っています。写真は戸倉地区の避難所です。

とくら 避難所


次の活動地は、桃生町にある小学校の避難所です。
ここは、避難者約80人うち、4分の1が透析治療の方、他にも血糖コントロール、血圧コントロール、トイレ介助が
必要な方など、医療ニーズが高い避難所です。

私たちが避難所を訪れた時、心身ともに本当に疲れ切った保健師さんと出会いました。
自身も被災者である保健師さんは
避難生活を送りながら、「保健師」として動いていました。


「被災地でお手伝いしたい看護師がいます、
こちらでお手伝いできることはありますか?」

疲れ切った保健師さんはいいました。
「先のことも考えられずにただ、一日一日必死でここまできました。
24時間ここにいます。急患がでたこともありました。もう限界です。
夜勤を変わってくれるだけでもいい・・・。本当に救いの神がやってきたようだよ・・・」


翌日より、ジャパンハートの看護師がこちらでお手伝いさせていただいています。


4つ目の活動地、本吉町。
こちらは
岩手県と宮城県の県境にある避難所です。
つい、先日より始まった活動地ですが、こちらもニーズにあわせて介入していきます。


以上、簡単に現地での活動をざっくりとご紹介しました。


今後、緊急支援から復興支援へと現地のニーズは変わっていきます。
そのニーズをくみ取りながら、私たちのサポート体制も柔軟に変えていきます。


私たちは、一時的な介入だけでなく、
中長期的な関わりをしたいと思っています。

看護師主体のジャパンハートがお手伝いできること。
異国の地で、国内僻地離島で活動してきた私たちにできること。
まだまだあるはずです。


みえ

テーマ : ボランティア活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

被災地に咲く花

みなさんこんにちは。
ジャパンハート医師の
石田健太郎といいます。

今回は大抜擢を受けて
震災被災者支援の先遣隊隊長を
任命され、動いていました。

やっていたことは孤立した
避難所の探索や、実際に
避難所に入っての医療活動です。

ちなみに入っていた避難所は
大須という雄勝半島先端の、
小学校の避難所でしたが、
現地の方の話を伺ったところ、
そこは本州で最もアメリカに近い場所
ということでした。

さて、そんな石田が被災地で
活動する中で感じたことなんかを
このブログを読んでくださっている
たくさんの方々と共有したいので
僭越ながら報告を綴らせていただきます。

今回は被災地で出会った子ども達の話です。

自分が数日間入っていた大須小学校は
原発のある女川の少し北に位置した
雄勝半島という小さな漁村にあります。

そこは元々のアクセスが必ずしも良いわけではなく
いざ被災してみると道が全て津波と土砂崩れにより
塞がれてしまったため「陸の孤島」になってしまいました。

ジャパンハートがやっと進入できたのは
地震の日からちょうど10日目でした。

日赤と自衛隊ですら数日前にやっと入れたというその町は、
海沿いは全て瓦礫で埋まり、まさに廃墟と化していました。

辺りを見渡すとビルの屋上に
大型の観光バスが乗っていたり、
海に家が沈んでいたり、
車が建物に突き刺さっていたりと
災害の凄まじい暴力性をはっきりと
訪問者に示してきます。

そんな瓦礫の道を進むこと30分。
大須小学校は海沿いの小高い場所に
津波の被害を受けることなく立っていました。

早速中に入ってみると、避難者の方々が
せわしなく動いています。

そこの責任者の校長先生にお会いし、
お話をさせていただいたところ、
是非にもということでその日から
自分が常駐することとなりました。

多くの老人を抱えたこの避難所では
震災以来医療が不足していることに
頭を悩ませていたということです。

そこに偶然にもジャパンハートからの
申し出があり、本当に安心しました
と言っていただけました。

その日の午後の会議で正式にジャパンハートの
支援が決定し、翌日から本格的な診療が始まりました。
常駐する医者が来たと聞いて、100人の被災者の方が
保健室の前に列を作ってくださいました。

そのほとんどは緊急性の無い患者さんでしたが、
長い避難所生活の中で少しずつ体調を壊しており、
みんな不安だったろうなぁと思いを巡らせます。

さて、夕方にはあらかたの診察が終わり、
皆さんの寝床になっている教室を回診。
そんな中で一つ、違う雰囲気の部屋を見つけました。

中から元気な声が聞こえるその部屋は
なんと保育所でした。

避難してきた数人の保育士さん達が
避難所作業を続けている親の代わりに
日中子どもの面倒を見ていてくれるための部屋です。

そこには残酷な大災害の後にも関わらず、
おおはしゃぎで遊ぶ子ども達の姿がありました。

「おじさんだれー?」
「昨日からいる医者だよ」
「おじさんなんさいなのー?」
「12さいだよ。大人だろ?」

子ども相手に簡単な嘘をついて遊んでいると
その後数十回"たかいたかい"をさせられる羽目になりました。

しかし地震と津波の最中は本当に恐かっただろうけど、
そんな子ども達が今目の前で元気でいてくれている。
これはどんなに大人達を勇気づけることでしょう?

彼らがPTSDなどに苦しまないように
今後も長期的な関わりが必要です。
将来のびのび成長していける
環境を用意していかなくては。

支援が必要なのは決して直後だけではありません。

被災地の子ども 縮小版
大須小学校内の保育所で遊ぶ子ども達

戸倉地区

宮城です。

南三陸町志津川の戸倉地区の自然の家避難所で診療所を開設し、周辺の避難所でも巡回診療を開始しました。ジャパンハートから派遣された医師と看護師が現地の看護師さんと協力して診療を行い、700人の避難している住民を診ています。現地の看護師さんは自ら被災者ですが、看護師として住民の健康を守るため日々奮闘しています。少しでも手助けになればと思いスタッフ一同全力投球で活動しています。毎日、避難所の住民一人一人に声をかけ体調の管理を行っています。医療者がいなかった診療所では医師・看護師が常駐していることで安心感が出ているようです。最近は風邪をひいている人がちらほら出てきています。大きな病気には至らず住民の皆さんには笑顔もみられます。学生部会のボランティアさんも一緒に活動しています。みんなで助け合いながら炊き出し、洗濯、物資の仕分けを行っています。
震災直後から10日たち、住民は少しずつ落ち着きを取り戻しています。時間があると住民の中には災害地まで行く人もいます。倒壊した家まで行き座り込んでいる人、行方不明者を探す人などが見受けられました。道であった住民は「ここは桜のきれいなところなのよ。こんなになってしまって。」と話していました。ずっと避難所にいるよりも散歩しているほうが気が紛れると瓦礫の中を歩いている人もいました。
住民は明るく笑顔でいますが、この大きな災害の傷は深いと感じました。傷がいえるには時間がかかります。まだまだ現実を受け入れて前に進むにも時間がかかります。ここで出会ったのも何かのご縁です。少しでも一緒に前に進んでいけたらと思っています。

はし

色々な支援

被災地から医療者へのボランティア依頼として色々な依頼が
来ています。

・町の総合病院
 今回の震災後スタッフが全く休めていない
 家族が行方不明になっているが休日がないので
 探しに行く事もできない
 スタッフに休みをあげたい、
 看護師の応援をお願い出来ないか

・市の保健師さんより
 避難所での医療活動に加えて通常業務があり人出が足りない
 業務を応援してくれる人に来てもらえないか
 長期間手伝って欲しい

・市の保険課より
 寝たきりのお年寄りを安全な地域に移動させたい
 移送中に看護師に付き添ってもらいたい

被災地への医療従事者のボランティアというと、
避難所や病院での活動をいうイメージを持たれる方も
大勢いると思います。
こんな問い合わせを頂くまでは私もそう思っていました。
でも、それだけではなさそうです。

医療者だから出来る事は沢山あります。

そして、今後支援の形は変化していきます。
緊急支援から復興支援へ

災害が起こる前よりもっと素敵な日本になるように。
出来る事は沢山ありそうです。

雄勝町大須地区

私は長崎県の上五島病院で研修をしていますが、今回上五島病院の皆さんのご好意のおかげで、東日本大震災の災害支援活動に参加することができました。
 
5.jpg
 


今回病院のご協力のもと上五島病院の医師1名、看護師4名、事務員1名の計6名で18日に上五島病院を出発しました。
医師と事務員は即日仙台に入り、翌日看護師3名も仙台に入りました。私も遅れること20日に仙台に入りしました。
そして先発隊は20日より南三陸町の戸倉地区で診療所と巡回診療を開始しました。

 今回私は直接の医療活動ではなく、現地の医療ニーズの調査に行くことになりました。そして21日に被害の大きかった石巻市雄勝町に行って来ました。ここは橋や道路が寸断されていたのが、やっと仮設道路が建設され町まで行けるようになりました。

 町を見てびっくり、町がないんです。本当に家が流されて、車はひっくり返っており、町中にがれきが散乱している状態でした。病院は壊滅で地震の時に勤務していたスタッフは全員津波で流されたようです。町の住民の方も今はまだ先のことは考えられず、今を生きることに精一杯とのことでした。こんな状況の中でもお互いに本当によく助け合っていました。「こんな時だからお互いに助け合わないと」みんな助け合ってこの状況から何とかよくしていこうと必死に生きている姿を見ることができました。

 そしてジャパンハートもこの雄勝町の大須地区で活動をすることが決まりました。これから大須の人々のために私たちができることを少しずつ始めていこうと思います。少しでも早くこの町が復興できるように頑張ります。

東京でフォローする

3.jpg


スタッフが被災地への活動に出発して今日で4日。
今日までに医師4名 看護師10名 ボランティア15名の方が現地での活動に参加して頂いています。
これからもっと多くの医療者、ボランティアの方が
被災地に入る予定です。

そして、東京事務局にも多くの方がボランティアとして
お手伝いに来て下さっています。
現在東京事務局には、現地で使用する多くの医療物資や食料品
また夜は氷点下になるからと布団や毛布のご寄付が沢山
届いています。

そんな中で活躍してくれているのが、ボランティアさん

ボランティアで関わってくれている学生さん達は夜遅くまで
「学生だから出来る事はなんだろう?」
「被災地でどんな関わりが出来るだろう?」
「東京にいる自分達が出来ることは?」
アツく語っています。
とってもまぶしいです。
私の学生時代ってどんなだったっけ?
と思う事もしばしば。

そして、そんな思いを背負ったメンバーが被災地に入り
活動しています。

アツいのは学生さんだけではありません。
まるでスタッフの一員のように私達と一緒に頑張ってくれている
スタッフさん達が沢山事務所にはいます。

関わる人が多くなり煩雑になりがちな人や車の動きを綺麗に
表にまとめてくれたり
一緒に力仕事をしてくれたり
時には、夜遅くまで私達とのミーティングに一緒に参加して
頂いたり・・・。
それぞれの得意分野を生かして活躍して下さっています。

事務局にはなくてはならない大切な存在。
そんな沢山の方に支えられて、現地を支える
東京事務局は成り立っています。

南三陸町志津川

宮城からです。

2.jpg

被災地に入り3日目です。
東京からは山形を経由し仙台に入りました。ここまでたどり着くのにたくさんの方に助けて頂きました。自ら被災しているにもかかわらず、惜しみなく私たちに愛情を注いでくださり、本当に感謝感謝の日々です。皆様本当にありがとうございます。本当に東北は人情深く温かい。皆様に支えられて、こうして活動できているのだと実感しています。
皆様にお手伝いいただき、今日は宮城県南三陸町志津川に入ることができました。。仙台からの道は沿岸部に行くにしたがい、倒壊している建物や道路の亀裂・陥没が目立ちました。ガソリンスタンドには長蛇の列で渋滞です。毎日朝から晩まで並んだとしてもガソリンは手に入らず、何日も車で並んでいるようです。半分以上のガソリンスタンドは営業休止しています。救援に行くにしてもやっとの思いでガソリンを手に入れての道中です。
志津川地区は周囲の土地より一段低い窪地のようなところです。志津川の入り口の坂を下ると景色が一変しました。何もない。平坦なのです。愕然として言葉が出ませんでした。まるで戦後の焼け野原です。志津川地区は入口から海までかなりの距離があります。入口から海は見えません。それなのに船が横倒しに道路にあったり、家は崩壊しがれきの山です。がれき・車・船などありとあらゆるもの一緒になって積み重なっています。高い建物は枠組みの鉄骨だけが残っていたり、5階くらいの建物の上に車が乗ってしまっていました。住民の方々が木の枝を持ち何かを必死に探している姿がおおくみられました。自衛隊や消防、警察ががれきの中に入り捜索をしていました。
私たちは避難所に向かいました。志津川の避難所は10数箇所あります。ドクターが常駐している箇所が4か所。他は看護師のみの常駐です。その本部となるのがベイサイドアリーナという建物です。そこで志津川病院の西澤先生をはじめとするスタッフが懸命に診療を続けていました。私たちは西澤先生に協力すべく、そこから少し離れた戸倉地区で医師2名、看護師5名が常駐し診療を開始しました。戸倉地区はまだ電気がなく、道路は寸断され、本部からは山道を入って2時間の場所です。
多くの住民が家をなくし、十分な暖も取れず避難所で生活しています。少しでも皆さんの力になれるよう精一杯活動していきたいと思います。頑張ります。
1.jpg

第一斑出動

3月11日に発生した東北関東大震災。
普段、海外主体に医療活動を行っているジャパンハートも初の災害支援に取り掛かっています。

現地より活動報告します
陸路での被災地入りが困難なため、17日に第一支援部隊は空路でまず山形へ向かいました。
「悪天候のため離陸できない可能性もございます」
搭乗口で流れるアナウンスを聞きながら、祈る気持ちで天候回復待ちました。
定刻より2時間以上も遅れ、雪が舞う山形空港へどうにか着陸。

山形も地震の被害がありましたが、市内のインフラは少しずつ回復しているようです。しかし、食糧不足は続いており、コンビニは品不足のため閉店、ガソリンはまだ一般家庭には届いていない。豪雪地域の山形に欠かせない灯油もない。季節外れに舞う雪を見上げながらまだ、避難所生活を続ける被災者を思いました。

そんな中、地元の方々の協力を得ながら情報収集、被災地へ入る医療者・物資の振り分け、拠点地作りをどんどん進めます。

私たちの作戦は、仙台もしくは山形に中継地点を構え、人が、物資が届かない医療者・物資のルートを確立すること。

すでに現場に入っている他の医療者の情報を得つつ、医師2名、看護師1名は志津川(宮城県の沿岸部)へ入ります。
そこからジャパンハートのコンセプト「医療の届かないところに医療を届ける」に乗り、報道もされていない、孤立している地域に入る予定です。

ネットができない、携帯がつながらない、流動的に変わる被災地調査部隊との調整とりながら現地のニーズと支援体制を考えています。今後の中長期的な支援も含め考えています。

被災地支援に向けて、現場でも本当にたくさんの人が協力してくれています。
自身が被災者でありながら、困っている方も。

いま、日本はとても厳しい状況になっています。
でも今、みんなが「できることを」と思いをひとつに動いています。

東北関東大震災スタッフ現地へ

ジャパンハートでは3月17日に医師1名 看護師2名を
第1陣として現地に派遣をしました。

僻地・離島で研修中のメンバーも
現地入りの為東京事務局に集合しています。
各施設のスタッフの皆様、ありがとうございます。

また、長崎県上五島病院からは病院の医療チーム
(医師1名 看護師2名 事務1名)で参加してくれています。
3月18日・19日に分けて現地入りします。

ジャパンハートのホームページを見た多くの方から
ボランティアとして参加したいとのお問い合わせを
頂きました。
ありがとうございます。


すでに現地入りしているメンバーによるとインフルエンザが
流行し始めているとの事。
雪が10cm程積り、夜はかなり冷え込みが強く0度以下に
なっているようです。
少しずつインフラも回復しつつありますが、
スタッフが入っている宮城県内はまだ安定していません。
食料の不足も不足しています。

まだまだ大変な状況が続く被災地。
インフルエンザが大流行しない事を祈っています。

被災地へ
プロフィール

ジャパンハート

Author:ジャパンハート
ジャパンハートの東日本大震災の救援医療活動の報告。
日々、リアルタイムで報告します。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。